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過去の日記     2010年1月
 
庭仕事の記録と不定期日記(2010年)
 


2月28日(日)
 今月いっぱいが締め切りの報告書が終わらなくて、昨日今日は休日出勤で仕事しています。毎度のことですが、年度末は厳しいです。それでも二日間の休日仕事が実を結んで16:00前に完成。一山越えました。やれやれ。

2月26日(金)
 長男の入試、門衛の国立大学、一次試験合格しました!
 夕方に、現地に見に行った本人から電話で知らせてきました。昨夜は「難しかった、自信ない」と沈み気味だでしたが、今日の電話は声も弾んでいて、嬉しそうでした。
 その前に、昼過ぎには、第2志望の私立大学の合格発表があり、こちらはネットで確認しました。 合格でした♪ 嬉しくて思わず涙目になってしまいました。
 ともあれこれで浪人脱出、4月から大学生になることが確定しました。ああ、ほんっとによかったです。
 第一志望の二次試験は明日です。超難関校ですが、最後まで諦めることなく持てる力を最大限に発揮して、悔いの残らないように頑張って欲しいと願っています。

2月25日(木)
 いよいよ長男の第一志望校の入試が始まりました。
 昨日は東京での仕事のあと、実家に泊まり、一緒に晩ご飯を食べて、今朝は5:30起床で朝ご飯を用意して、6:45に送り出しました。
 17:00まで丸一日の試験を受けて、これが一次試験。その合格者が明日夕方に発表され、合格していたらすぐ翌日に二次試験があります。体調は良い様子なので、悔いの無いよう、持てる力を出し切ってほしいです。

2月23日(火)
 私がプロジェクトリーダーをしている仕事の報告会がありました。3年間続いたプロジェクトもこれで終了になります。周囲に助けられて何とか無事に終えることが出来て、ほっとしています。後は報告書(膨大)を仕上げたら、肩の荷を一つ下ろせます。

2月11日(木)
 天気予報では雨だったのですが、朝起きたら曇り。部活の次男を送り出してから、庭を見回りました。
 先日ルイーズ・オディの跡地にマサコを移植して、マサコの跡地が空いています。余り背の高くない薔薇をここに持って来たい・・・。で、そのまま庭作業に突入となりました。

 Coquette des Blanches(B)をマサコの跡地に移植。2008年6月に手に入れたブルボンで、2009年は梅の木の陰になってかわいそうでした。梅の木を大胆に剪定したので、日当たりは良くなるはずですが、この際「一等地」に引っ越しさせました。
 Coquette des Blanches(B)を動かして広くなった場所には、ブルーベリー2株を移植。植えて10年になるのに、ちっとも大きくなってくれず、思い切って環境を変えることにしました。
 ブルーベリーの跡地を掘り返すと、ドクダミの地下茎がごっそりと出てきました。この付近はドクダミ畑のようになっているので、いい機会だし、広く掘り起こしてドクダミを取り除きました。それからこの場所にジュード・ジ・オブスキュアとカザンリクを移植。年々衰退気味の薔薇たちです。掘り出してみるとどちらもあまり根が張っていなくて、勢いを取り戻せるかは微妙ですが、気をつけて様子を見ていこうと思います。
 ジュードの隣にあった秋明菊を掘り出して、50p奥に植え直しました。カンパニュラ・アルペンブルーの端を少し株分けして、ジュードの前に3カ所、植えました。ここで雨がポツポツと落ちてきたので、急いで片付けて家に入りました。
 作業時間は8:40〜11:00。思ったよりも色々と片付いて、かなり充実感ありです。
 雨はその後本降りになって、夕方から雪に変わりました。

2月8日(月)
 今朝の最低気温 −7.3℃。先週も木曜日が−8.0℃、金曜日が−7.9℃だったし、土曜日など最高気温が−2.4の真冬日でした。日本海側は59豪雪以来の豪雪だということです。新潟では地吹雪で100台もの車が閉じこめられ、志賀高原では営業していないゲレンデで大規模な雪崩があり、駐車場の車や通りを隔てて反対側のホテルが大きな被害を受けました。

 26年前の59豪雪。クリスマスから岩岳スキー場で過ごして、12月28日だったか29日だったか、帰る前日から1m以上の降雪がありました。駐車場はすっぽりと雪に覆われて、どこに車があるのか分からない状態。リフトもチェアまでが雪に埋まるほどで運転できず。降り続く雪の中、午前中いっぱい掛かって、同行者と3人でせっせと車を掘り出しました。電車が動かないので帰れない宿泊客がロッジのロビーにあふれているのは、まるでどこかの避難所のような光景でした。
 昼過ぎに帰路を走り出したのですが、渋滞で全然動きません。もともとが狭い国道148号線が除雪でできた雪の壁でますます狭くなり、大型バス同士がすれ違えないのです。夕方になってもまだ青木湖のあたりで、反対方向からは、歩いてスキー場へと向かう人の列が続いていました。1時間歩けば宿に着けますからね。しかしこちらはそういうわけにはいきません。京都まで帰らなくてはならないのですから辛抱するしかありません。

 深夜11時過ぎて、ようやく大町市街にたどり着き、そこからは嘘のように雪が少なくなってようやくまともに走れるようになりました。京都の家に着いたのは翌朝7時。あの時は、本当に凄かったです。

 書き終わって、何か違う気がしていた。過去の気象データをチェックした結果、これは56豪雪の時だったことが分かりました。1980年12月28日に白馬村で76pの降雪が記録されていました。最深積雪は187p!!一方1983年12月下旬にはドカ雪はありませんでした。つまり、これは1980年12月28日の出来事だったのでした。

 38(サンパチ)豪雪  56(ゴーロク)豪雪  59(ゴーキュウ)豪雪
数字は昭和○年を意味します。今回は20(ニーマル)豪雪と呼ばれるのかもしれませんね。

2月5日(金)
 ミニバラ。といっても、花が大きくて豪華なものが出回っていることを知りました。「フォーエバーローズ」というブランド名で、マルメゾンやドクトルジャマンを彷彿とさせる花もあります。先日のレベッカに続いて、ちょっとはまりそうです。

2月1日(月)
 今午後から降り出した雪が夜には10センチ近く積もりました。